2010年3月19日金曜日

地境を広げてください

旧約聖書の第一歴代誌に「ヤベツの祈り」というのがあります。

9節:ヤベツは彼の兄弟たちよりも重んじられた。彼の母は、「私が悲しみのうちにこの子を産んだから。」と言って、彼にヤベツという名をつけた
10節:ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように。」そこで神は彼の願ったことをかなえられた。
第一歴代誌4章 9節 10節

10年程前に、ブルース・ウィルキンソンさんが書いた「ヤベツの祈り」の日本版が(いのちのことば社)発売されベストセラーになりました。
彼はその本の中で「ヤベツの祈り」を祈るようになってから
自分の人生が変った。
また多くの人が、「ヤベツの祈り」を祈っているうちに、神様から
たくさんの祝福を頂く人生に変えられていったと書いています。

私は、はじめて、この「ヤベツ祈り」の箇所を読んだときには、
このように、都合のいい祈りにも、神様は聞いて下さるんだなぁ、
くらいイメージしかもっていませんでした。

しかし、この祈りを何度か繰り返しているうちに、
この祈りが、ただ、都合のいいだけの祈りではない、ということに、気づきました。

つまり、この祈りは
○神様だけを頼りにするということに徹した力強い祈りであること。
○最も重要な点ですが、ヤベツの祈りには、
「神様、どうぞ私を神さまの証人として用いてください」
 というはっきりとした目的があることです。

ヤベツという人がどのような人物であったかは、先ほどお読みした以外に、聖書にはでてきません。
「ヤベツ」という名は「痛み、苦しみ、悲しみ」を表わしている
そうです。
何故、母が子どもに、そのような名前をつけたのか理由は、わかりませんが、ヤベツはよほどの、苦しみや悲しみの環境の中で生まれたのかもしれません。

そのような環境の下にあったヤベツがはじめに
「主よ、私を大いに祝福してください」と祈ります。
私たちも祝福という言葉をよく使います。
○今日一日の歩みを祝福してください とか
○備えられた食べ物を祝福してください とか
○ご家族の上に神様の祝福がありますように! とか
いろいろです。
私たちが「祝福してください」と普段祈るときは、
普段の生活の延長線上にある、私たちでも予想ができるような
祝福を期待して、使うことが多いのではないでしょうか!
このとこも、神様を賛美する上で、すばらしいことですが・・・

ヤベツが神様に求めた祝福は、桁はずれのものでした。
・人知を超えた、人では成しえない、
・ 私たちの知恵や感覚では、想像も出来ない祝福を
神様に期待しています。

エレミヤ33章3節に
「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。」
時代から考えて、ヤベツがこの「みことば」を聞いたことはないと思いますが、
まさに、ヤベツは、この御言葉のままを、神様に期待していました。
「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。」

このようなヤベツの期待はどこから来るのでしょうか!
それは、
ヤベツの神様に対する信頼ではないでしょうか?
ヤベツが頼りにしていたのは誰でしょう・・
ヤベツは神様だけを頼りにしていました。
いやむしろ、ヤベツは神様しか「頼ることのできる方」が
いなかったのです!
ヤベツの神様に対する信頼を、神様は「よし」され、彼の祈りを聞いてくださいました。

さらに、ヤベツは「私の地境を広げてくださいますように」と
祈ります。
9節に「ヤベツは彼の兄弟たちよりも重んじられた」と書かれていますように、神様から大きな信頼を得ていました。

「地境を広げてください」といえば、
・ 企業ですと「会社の業績が上がり、株価が上がり企業価値が上がること」でしょうか!
・教会で言えば、「救われる人がたくさん与えられ、
地域に影響力を持つようになること」でしょうか!

所有する土地や財産が増えたり、会社が大きくなったり、
教会が地域に大きな影響力を持つようになったりすることは、
すばらしいことです。
しかし、地境を広げる目的が私たちの勢力拡大や影響力増加だけで
あれば、神様は私たちに助けを与えてくださるでしょうか!

ヤベツが「地境を広げてください」と祈ったとき、そこには
重要な目的がありました。
それは「地境を広げる」ことを通して「神さまの栄光があがめられる」という事です。
ヤベツは「神さまの栄光があがめられる」ために
「わたしの地境を広げて下さい」と祈りました。

ヤベツは神さまだけを頼りにし、神さまが「あがめられる」ために
私の地境を広げ、用いてくださいと祈りました。
そのようなヤベツの祈りを、神様は聞いてくださったのではないでしょうか。

さらに、ヤベツは「御手が私とともにあり」と祈っています。

神様から祝福を受け、目に見える成果や成功を収めると、
人はどうなっていくでしょうか!
そこに出てくるのは、おごりや、自分への過信ではないでしょうか!

神さまに栄光を現すために成されたわざであったはずが・・・。
だんだんと、神様だけを頼りにする「心が鈍り始め」、ついには、
自分が一番、偉くなってくるかもしれません。

ヤベツはそんな人間の、心の変化や弱さをよく知っていたのでしょう。

「これらすべてのもののうち、主の御手がこれをなさったことを、知らないものがあろうか」     
ヨブ記12章9節

すべての、ものが神様によって作られた。ことを忘れないためにも、ヤベツは
「御手が私とともにあり」と祈ります。
 神様、いつも私と一緒にいてください。
いつも、神様の偉大さを覚えていることが出来ますようにと・・
神様、あなただけが頼りです。どうぞ、「いつも いっしょにいて
私を導いてください」と祈ったのはないでしょうか・・・・・

さらに、ヤベツは
「わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように。」と祈っています。

私たちには、神様から委ねられたものを守る使命があります。
私たちは、時々、神様から委ねられているものの多さに、耐え切れず、苦しむこともがあります。

そんなとき、どうされるでしょうか?
ふと気がついてみると自分ひとりで、一生懸命なんとかしようと
もがいている事はないでしょうか!

「逃げるが勝ち」、「君子危うきに近寄らず」といった言葉がありますが、戦わずして勝ちたいそんな祈りも神さまは聞いてくださいます。
私たちは、何か問題や課題に遭ったときに解決する力や戦う力を
与えて下さいと神さまに祈ります。これも大切ですが、

ヤベツは、「転ばぬ先の杖」を神様に期待し祈りました。
ヤベツは、私には災いにあったときに戦う力は何も力がありません。だから、災いにあわないように私を守ってください、

と、同時に、神様から委ねられたものをしっかり守り、そのことを通して神様の栄光があがめられますようにと祈ったのです。

主の祈りの中で マタイ6章13節
「私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。」という祈りがあります。

神さまの栄光を表すために、私の地境、つまり神様の魂と出会う
機会や場所を広げて用いてください。
でも、わたしは弱い者ですから、今日も災いに会わないように守って下さい。
と、毎日、祈らずにはいられないのではないでしょうか。

私たちは、いつも神様の手の中にいるつもりが、いつの間にか
神さまの手の中から飛び出し、自分の強さを誇っているときが
あります。
聖書に
わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである」
とありますように     
  第二コリント12章9節

ヤベツの祈りは、弱さを知り、弱さを誇りとする者の祈りです。
神様が、私だけを頼ればそれでいいんだよと、教えて下さった
勇気の出る祈りでもあります。

神様は、時々に、私たちを助けてくださいます。
自分を誇りやすい不信仰な者ですが、自分を低くし、神様しか頼れる方がありませんと、祈るとき神様はそれに答え続けてきて
下さいます。

神様に大いに期待し私たちが、今まで考えも及ばなかった地境を、神さまに、広げていただき、たくさんの主の魂に出会い、そこで
大いに神様の栄光が表せますようにと、祈り続けたいと願います。

こころに聖書を持ちましょう

(完)

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